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2004-04-05(Mon) [長年日記]

Internet Archive: Wayback Machine

Webのアーカイブを検索できる。ここで、自分の書いた一番古いWebページを探してみたら、Jun 06, 1997(平成9年)に取得されたデータが有った。ちょうど、船に乗っていた年にWayback Machineによって収集された情報た。懐かしい…

中身を見ると(平成6)1994年9月6日に最終更新したものだった。1993年頃からX11が使えるマシン(386DX 25MHzのLinux)が机の上に置けるようになって、MosicでWebしていたっけ、その当時のものだな。Netscapeは出てきていたかもしれないけど、Apache httpdでは無かった時代だ。

当時、自分がメインで更新していたページはWayback Machineでは収集されていなかったのが残念。

シリコンバレーに行かなきゃダメ?

4月3日の日記で書いた、CNET Japan Blog - 梅田望夫・英語で読むITトレンド:ベテランの参入がBlogを活性化させるで紹介されていた。ミラクル・リナックスのCTO吉岡弘隆さんの過去の日記を読んでいて思ったこと。

紹介されていた。シリコンバレー日記は、アーカイブサーバ上でしか実在しないので、私の働いているイケテない会社では、「おまえアーカイブにある変なもの読もうとしているだろう」と蹴られて読むことは出来なかったので、週末に読んだ。

大規模ソフトウェア開発の実際」「デイリービルド」「ソースコード管理システム」「デバッグ」「ソフトウェアのレビュー」あたりは、職業としてバリバリ必要なキーワードなので、週末に読むのが非常に楽しみだった。

アメリカのオラクルの話は、2001年にJavaOneのためにサンフランシスコに行ったときに、日本からオラクルに出向?していた人に聞いた事がある。よしおかさんの日記の1998年から3年経った2001年なので、北米・インド・ヨーロッパと時差に合わせてワールドワイドでデーリービルドしている話だった「すげー」「そうなんなきゃな」と思ったのを思い出す。

そもそも、請負で仕事をしていた1997年当時には、変更管理・構成管理にCVSとmakeを使っていて、オラクルレベルだったのに、会社に入っちまうと、2004年で、やっとオラクルの1998年のレベル。三年後にワールドワイドデーリービルドになれるかは、「ちょっと心配」ということになると、やっぱり日本は遅れているよなぁ。シリコンバレー行かなきゃダメか。と思う。

ただ、吉岡さんの日記中で1995年11/02に「大規模なシステムソフトウェアつーのはもーほとんど新規に作られることはないんじゃないかなあ〜」というのがあるけど、その後に日本で製品化されたRDBやAPserverのようなシステムソフトウェアの開発に、会社で、しかも日本で、かかわれたと言うことはラッキーかもしれない。

※DBの方は、自分のコードが入っているわけじゃないくて「javax.resource××は、こー動いてくれないと、一緒にうまく動けないので困る」と日本語でお願いして仕様決め(っていうか不具合修正)してもらったりしただけですけど。

おくつさん→吉岡さん

吉岡さんのシリコンバレー日記を読んでいたら、1995年11/08の日記に「Sunにお勤めの おくつさんに案内してもらったカフェは…」と出てきた。

おっ。これは、The Java Community Process Program JSR# 204 Unicode Supplementary Character Supportのスペックリードの奥津さんじゃないか!!

奥津さんとは、Unicodeのお話で何回かお会いしたことがあるし、Sunの人々に紹介してもらってorkutしている縁もあって、orkutでお友達登録してもらっているぞ!!

さっそくorkutで調べてみると、やっぱり奥津さんのお友達として、吉岡さんが登録されている。「オラクルの壇上で話している写真の人がいるなぁ」とは思っていたんだけど、これが吉岡さんなのね。

奥津さんに「お友達のお友達」って事で、吉岡さん紹介してもらおうかな。CTOって偉い人だから無理かな?

DEC

吉岡さんが、日本DECに昔おつとめだった事は、CNETの梅田さんの記事にも書いてあるど、私もDECのファン。

大学三年の就職オリエンテーションの全体会の時(1990年?)に「どんな会社に行きたいか」と聞かれて、船に乗りたいと言う多くの仲間の中で、一人「学校の船に積まれているmicro VAXを作ってる。日本DECに行きたい」と言ったら、教授陣が「なんじゃ その会社」動揺していたっけ。

最近の吉岡さんの日記ははてなダイアリー - 未来のいつか/hyoshiokの日記なんだけど、2004年4月1日の日記に、日本DECに就職して直後に花見の席取りをして、VAXのアーキテクトと話して感動した話(たぶん1983年頃か?)。

やはり、「本物のエンジニアと出会うこと」「本物のエンジニアと一緒に仕事をしてみたいと思うこと」は大切だよな。

学部での就職活動

大学三年の就職オリエンテーションで思い出したけど、そのオリエンテーションでは、就職を考えるために何ヶ所か職場(工場)見学が有った。

最近知ったのだけど、同級生に偉い人の子供がいたからか、いまつとめている会社の工場にも見学に来た。

そこでは「あんたら程度の低い人々は、よわっちい関連子会社を紹介しておきましょ」と本体ではなくて関連子会社のパンフをくれたり、工場のラインで電子レンジを組み立てている、あやしいおばさんを見学されてくれて、「うげー絶対イヤだ」と思ったような気がする。

その後、大学院に行く気になって学部での就職の事は、すっかり忘れていたんだけどね。

いつのまにか、そんな会社に入っていた。

修士での就職活動

そういえば、修士の時にも就職する気なんて全くなかったけど、となりの電子工学の教授の紹介で、水道橋あたりの会社に話に言った。1992年当時だと思うけど、PCによるサーバ・クライアント構成で、「サーバはデカいもの、クライアントは安くて小さいもの」と決めつけていて、「SunOSとSystem V R3.0で、複数のマシンが協調・協力して、お互いサーバにもクライアントにもなるのが本当」と思っていた私と話が合わなくて、終わった。

そういえば、当時、仕事を請負で、もらう活動はバリバリしていたけど、修士の時の就職活動らしい物は、これだけだったな。

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